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笠原町商工会

常に情報は外にあるんだ。

かがみ かんじ
多治見市モザイクタイルミュージアム 館長

「おはよう」「いらっしゃい」。若い人たちで賑わうモザイクタイルミュージアムで、気さくに声をかける白髪の男性。デザイナーズブランドのお洒落なシャツに、綺麗にクシを入れた白髪。ミュージアム館長の各務さんだ。

2016年6月、笠原町に開館したモザイクタイルミュージアムは、今大人気だ。建築設計は、あの藤森照信氏。その独創的な建物と、レトロなタイル製品の展示で、若い女性からファミリー層、建築ファンを虜にしている。全国からタイルを見にミュージアムを訪れる。このミュージアム設立に尽力したのが、各務さん張本人だ。

ミュージアム設立に向けた動きは、今から約20年以上前にスタートした。各務さんを含む笠原町商工会 地場産業振興委員会のメンバーで、日本全国からタイル製品の収集を始める。工業製品であるタイルは、意識して集めようとしないと集まらない。壊される建物と一緒に破棄される運命のタイルを救い出し、その数は一万点にもおよんだ。

建物はひとつの文化でもある。 その頃知ったのが、建築史家で建築家の藤森氏だった。各務さんは交流を深め、いつかタイルの資料館をつくる時には、藤森氏に設計を依頼しようと心に決めた。それから年月が流れ2007年、ようやくミュージアムの建設事業が持ち上がった。藤森氏には「タイルが美しく見えるようにつくってください」とだけお願いした。

建築にあたっては、周囲から様々な反対意見が出た。息子にさえ止めるように言われた時には、さすがにズキっときたが、各務さんは全く聞く耳を持たなかった。そんな荒波をくぐり抜け、出来上がった建物は息を呑むものだった。「知恵はよその知恵を借りること」そして「任せること」。建築が圧倒的なチカラを発揮し続けている。

戦後のタイル産業の拡大ぶりは、まさに圧倒的だった。笠原町の生産額、そして輸出額は、数百億円を超える勢い。日本では鉄鋼に次ぐ第二の産業だった。「その歴史を知ってもらいたい」と各務さんは言い切る。それは何ものにも替えがたいものだ。笠原の人たちには、その技術や重要性に、誇りを持ってもらいたい。「残さなきゃあかん」と思った。「産業が衰退するのは、誇りを失った時なのだ」。

ミュージアムの出現により変わりつつある笠原町。今後この町をどうしていくか、地元の人たちに考えてもらいたいと期待している。各務さんのこれからの夢は人材育成だ。この地で、世界的視野を持った人を育てたい。常に外を向いてきた各務さんなら、そんな人材を育てられるはずだ。まだまだ忙しい毎日が続くが、時間ができたら趣味の鮎釣りをして、美味しい鮎を食べたいと笑いながら付け加えた。